自浄作用の変化 ( No.1 ) |
- 日時: 2009/12/07 00:32
- 名前: きりしま ID:29a071kc
- 「自浄作用」
は掲示板の活動そのものを示しているのではないかと思うのです。
掲示板は、たいてい主催者がいて、その主催者の趣旨に賛同する人が書き込みをすることで持続していると思うのです。
主催者と、その趣旨に賛同する人が書き込みをしている以上、それに反する書き込みは、当然淘汰されていくのではないかと思います。
ですから、往年のメンバーがほとんど書き込みもしなく、 なおかつ管理人の姿もあまり見受けられない、 という状態であれば、 やはりそのときに活発に書き込みをしている人のカラーで 運用されていくもので、 書き込みをしない人が、昔はこうじゃなかった、 と思っていても軌道は修正されないんだなあ、 と思ってみていました。
つまり、自浄作用の限界というか、 自浄作用自体がもたらす浄化された状態というのの立ち位置すら変化してしまっていたのだろう、という印象があります。
|
考えを文章にしてみましょう ( No.2 ) |
- 日時: 2009/12/07 22:17
- 名前: れん ID:eTdo4eqc
- なるほど。
難しい見解だと最初に述べつつ、 集団のメジャー意識による自浄作用には限界があると確かに思います。
例えるなら誰かが右を向けといったら、みんな右を向いていくような感じ、 たまたま左を向いた人間は、ちょっと他人と距離を置くというか。 みんなは右を向けよと促すのでしょうが、首の骨が生来左に曲がっている 人などは、どれだけ説得を受けても右を向けなかったり。
もし、そんな人達がいたとして、両者が一つの集団として成り立たないか、 ということもないと思うのが自浄のひとつの面と思ったり。
仮に”みんなで仲良くしよう”という究極の目的であったとして、 右向く人も左向く人も、その到達点に向かう意思がお互いにあるならば、 関係を調整しつつ、協力して向かうことができるのでないか、その為の 集団内でのネゴが自浄かな〜と。
また、もっと根本的なところとして、 ネット=公の場、という風に考えれば、エロ話や誹謗中傷の類、自らの違法 な行いを発言するなど普通はしないと思うのですよね。けれど、匿名性が 強く、顔も出さないで済むというネット世界にどこか甘えているというか、、 勘違いしているだけと思うのですが、普通の人が平気でその一線を越えて しまうのを目にします。
実は、誰だってそういうダークなネタは、ちょっとした話のエッセンスとして 好きなんだというのもよくわかります。けれど、それはお互い相手のことを よく分かってるから脱線できるというか。つまり、公の場であるという点を 再認識できれば、何が第三者に嫌悪感を与えるかも分かるハズなんです。 だって、普段は社会生活を行っている大人なんですから。この意識を再確認 し合うこと、指摘に対して過ちに気づいたら素直に受け入れること、も自浄 の一面なんじゃないかと思うのです。
んー なんというか、やっぱり僕は性善説というか「言わなくてもわかってよ」 派かな(笑)
|
れんさんとは正反対の意見ですが ( No.3 ) |
- 日時: 2009/12/08 12:49
- 名前: MOS ID:Clax6KJM
- mixiの日記に書いたネタですが、
昔まだインターネットなんて言葉もないころ、 電話回線で「パソコン通信」をしていたころの話です。
草の根ネットには「シスオペ(=管理人)絶対の法則」 というものがありました。 メンバーがシスオペを金で雇っているわけではなく シスオペは完全なボランティアである以上、 各メンバーはシスオペに対して感謝しなければならない。 そしてシスオペの発言は絶対なので尊重しなければならない。
極端なことをいえば、シスオペが白を黒といえば黒なんです。 そのくらい、シスオペに対しては絶対服従すること、というのが 「シスオペ(=管理人)絶対の法則」です。
そういう言葉があると言うのは何を意味するか。 シスオペに感謝もせず、尊重もしない人が存在しうる、ってことなんです。 だから、わざわざ「シスオペ(=管理人)絶対の法則」 なんて言葉を発明しなければならなかったわけです。
今もそのことに変化はないと思います。
というより、昔より広範囲な人がネットを利用する現在 問題はよりややこしくなっていると思います。
そんなことで、私の意見を類別すると、「性悪説」というか、 「言っても分からない人がいる」派ということになりますかね?
|
今更ですが ( No.4 ) |
- 日時: 2009/12/09 12:42
- 名前: れん ID:IFu7I80c
- 匿名性や顔出し無しが、人間性を悪くしているかもしれませんね。
利用者の多くは普通に社会生活を行っている人なわけですもん。
ソーシャルサイト系も匿名性が残っているのでしょうが、悪い展開 を抑えるための”サイトの信頼性”というのをうまく利用していると思います。 また利便性でもってサイトの価値を高めて、またある程度個人情報もつかめちゃうよ、 的な公衆意識なども、自浄効能と言えなくもないですかね。
Ducati Net発足当時にはまだmixiなどのソーシャルネットワークはなくて、 情報サイトから進んでコミュニケーションサイトを包括しつつ成長して行った Ducati Netでしたから、たぶん到達点は同じだろうなんて話も記憶があります。
コミュニケーションの行く末には、余計な軋轢や摩擦も当然起こりうるだろうから、 意図的に起こる構図を作らないためにも普段からメンバーさんから配慮を自然と 頂ける、各々がそうした自覚を持つ意味も込めて、運営サイドの色を抑えた のもあるのですが。考えてみると舵取りを完全にサイトの雰囲気に任せてしまった というのもありますね。
|